医師とワーク・ライフ・バランス

目次
本記事では、私の考える真のワーク・ライフ・バランスとはなにか? をお伝えしたいと思います。
大学院在学中は放射線腸炎の研究に従事し、第一子妊娠中に学位審査に臨んだ。無事に学位を取得するも、出産を目前に控えて臨床業務に復帰することができなかった。この経験を契機に、医師のジェンダーギャップに関する研究を開始。ワーク・ライフ・バランスや女性医師のキャリア継続の課題にも取り組み、関連する研究業績を積み重ねてきた。また、数少ない女性消化器外科医のエンパワーメントを目的とし、「消化器外科女性医師の活躍を応援する会(AEGIS-Women)」の立ち上げに尽力。現在は副会長を務める。
診療に復帰後は大腸癌の手術を中心に外科診療に従事し、研究面でも多数の業績を有する。診療と研究の両面から、医療の質の向上と持続可能な働き方の実現を目指す。
ワーク・ライフ・バランスとは何か?
今でこそ子どもたちは高校生と中学生になり、だいぶ手が離れましたが、幼い頃は仕事と育児の両立に悩んでいました。消化器外科医として思うように働けないもどかしさと、育児に追われる焦りの中で、『ワーク・ライフ・バランス』という言葉を知りました。
皆さんは「ワーク・ライフ・バランス」と聞いて、どのようなことを思い描くでしょうか? この言葉は、十年くらい前までは、女性医師支援の文脈で使用されることが多かったように思います。つまり、「ワーク」は医師としての仕事、「ライフ」は家事や育児のことを指し、「ワーク・ライフ・バランス」という言葉全体では仕事と家庭の両立という意味で使われることが多かった印象です。
内閣府のウェブページによると、ワーク・ライフ・バランスは「仕事と生活の調和」と訳されています。そして、仕事と生活の調和が実現した社会は、「国民一人ひとりがやりがいや充実感を感じながら働き、仕事上の責任を果たすとともに、家庭や地域生活などにおいても、子育て期、中高年期といった人生の各段階に応じて多様な生き方が選択・実現できる社会」であるとされています。したがって、ワーク・ライフ・バランスというのは特に育児中の女性に限った話ではなく、老若男女すべての国民に普遍的な概念と言ってよいでしょう。もちろん、医師のみなさんも若手からベテランまで、性別を問わず、自分にとってベストのワーク・ライフ・バランスを求める権利があります。
私のワーク・ライフ・バランス
私がワーク・ライフ・バランスという言葉を知ったのは、子どもたちがまだ乳幼児でとても手がかかるころでした。子どもから1分でも目を離すと何をしでかすかわからないような特に注意が必要な時期のことです。
独身の頃は消化器外科医として男女関係なくバリバリやっていた……つもりですが、子どもを持ってみると、もはや元のようには働けないことに気付きました。若い頃は、子どもを預かってくれるところさえあれば、夜遅くまで働けると思っていました。しかし、それは全くの間違いでした。
私は9時から16時の時短勤務で職場に復帰しました。保育園の送り迎えや食事の準備、買い物、掃除などをしながら綱渡りの毎日。子どもたちの体調不良等の小さなアクシデントでガラガラと崩れるような危ういバランスの中で働いていました。
また、他の医師が夜遅くまで働く中、自分だけ時間がきたら帰る状況を、とても心苦しく思っていました。自分が帰宅した後に回診がありカンファランスがあり、自分の知らないところで様々なことが決定されていく。自分の存在意義はないように感じ、自己肯定感が最低となっていた時期に当たります。
ペイドワーク(有報酬の仕事)とアンペイドワーク(無報酬の仕事)
私は第一子の妊娠を機に、16年前から女性医師支援について調査研究をしています。研究を始めた頃に共同研究者となってくださっていた久本憲夫先生(当時:京都大学大学院経済学研究科教授・現:京都橘大学経営学部教授)にこんな愚痴を言ってしまったことがあります。
「16時で帰宅するのが心苦しいんです。他の先生たちは遅くまで働いているのに、自分だけ帰っていくというのは、いたたまれない気がしています」
その時の久本先生のお返事は大変明快でした。一生忘れられないと思います。
「大越さんは帰って遊んでるんじゃないよね」
「はい、保育園に子どもたちのお迎えに行って、家の掃除をしてご飯を作って子どもたちに食べさせて……」
「それも仕事だよね。仕事にはね、お金を稼ぐ仕事だけではなくて、無報酬の仕事もあるんだよ」
さて、皆さんもワークと聞くと、どうしても外での仕事をイメージすることが多いのではないでしょうか? 実際私もそうだったのです。無意識のうちに家事や育児をいわゆる「仕事」とは見なしていなかったのだろうと思います。
医師としての仕事は診療ということになるでしょう。医師として働いて、報酬を得る、すなわちpaid work(有報酬の仕事)をワークと呼ぶ人が多いように思います。しかし、多かれ少なかれ、家庭には掃除、洗濯、料理などのケアワークなどのunpaid work(無報酬の仕事)が必要です。それらのケアワークを自分でこなすか、誰か別の人に負担してもらうかしなければ、paid workを継続することはできません。報酬を得られるがゆえにpaid workの方が価値が高いと思ってしまいがちかもしれませんが、決してunpaid workの価値が低いというわけではありません。
ワーク・ワーク・バランスとは?
仕事と家庭の両立という文脈で語られる「ワーク・ライフ・バランス」が「ワーク(paid work)・ワーク(unpaid work)・バランス」になってしまう傾向にあることは、大きな問題ではないでしょうか。
日本では共稼ぎであっても女性が家庭労働の大半を負担していることが多く、これがジェンダー不平等に直結しています。paid work中心の視点が、ジェンダー不平等や育児・介護負担の偏りを助長する可能性があるのです。
OECDの2020年における国際比較データで有償労働時間と無償労働時間の合計時間(以下「総労働時間」)をみると、日本女性(496分)、日本男性(493分)とそれぞれ世界で最も長くなっています。つまり、男女とも有償・無償をあわせた総労働時間が長く、時間的にはすでに限界まで「労働」しています。しかし、無償労働時間の男女比(男性を1とした場合の女性の比率)を見ると、日本では5.5倍と無償労働が女性に偏る傾向が極端に強いことがわかります。
ところで『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か?』という本があります。アダム・スミスとは「見えざる手」という有名な経済学用語を作った有名な経済学者です。本のタイトルの通り、アダム・スミスの夕食を作ったのは誰でしょう? おそらくは同居していた母親であっただろうとこの本では述べられています。この「夕食を作る」という労働は、国の労働統計にもGDPにも計上されませんが、誰かが夕食を作らなければアダム・スミスは経済学者として仕事を続けることはできなかったでしょう。
本当に「夕食を作る」ことは労働ではないのでしょうか? 大事な労働ですよね。逆に、paid workをしていれば(家計を支えてさえいれば)、家庭を支えていると同義としてよいのでしょうか?
また、unpaid workは家事や育児・介護などの家庭労働だけではありません。自治体やコミュニティなどの地域での活動なども大事な仕事だと考えています。paid workだけが「ワーク」として認識されることの問題をここでは提起したいと思います。ワーク・ライフ・バランスについて考えると同時に、ワーク(paid work)・ワーク(unpaid work)・バランスについても考える必要があるのです。
ワーク・ライフ・バランスと真の働き方改革
実際、皆さんが「ワーク」と「ライフ」を天秤に載せる場合、「ワーク」の反対側に載せる「ライフ」は何でしょう?共稼ぎの家庭の場合、男性は余暇や趣味、女性は家事や育児に関連することになりがちではないでしょうか(あくまでも全体的な傾向です)。「令和3年社会生活基本調査」によると、家庭関連時間は男性は51分、女性は3時間24 分とかなり大きな差があります。また、趣味・娯楽時間については男性1時間に対して女性は37分と、こちらも家庭関連時間ほどではありませんが男女差があります。もちろん、「ワーク」と「ライフ」の線引きは必ずしも明確でないこともありますが……。
本来の「ライフ」として、個人の趣味活動(いわゆる推し活などもこのカテゴリーに入るでしょう)や、体を休める睡眠や休養、旅行や習い事など見聞を広める活動、仕事とは直結しない教養のための勉強など、そういうことも大事にしていきたいものです。また、食事や入浴なども時間に追われるのではなく、ある程度のゆとりをもって行いたいですよね。そして理想を言えば、ワーク・ライフ・バランスについての考え方を家族内・職場内で共有できると良いなと思います。
さて、paid work一辺倒の働き方を超えた多様な「働き方」を目指すにはどうすればよいでしょうか? 最近の「働き方改革」によって労働(paid work)時間を減らすことはできましたか? もうひとつの「ワーク」であるunpaid workや「ライフ」にシフトできそうでしょうか? まずはいわゆる労働時間短縮は必須です。ただ、それだけでは真のワーク・ライフ・バランスは成立しないため、パラダイムシフトが必要であると考えています。
真のワーク・ライフ・バランス実現に向けて
私は、働き方改革が、ただpaid workの時間を減らすことだけではなく、unpaid workの価値をもう一度見直す機会になってほしいと思っています。「お金を稼ぐことだけが仕事ではない」ということを肝に銘じましょう。自分の「ワーク」と「ライフ」の天秤に何を載せたいか、家族、特にパートナーの天秤はどうなっているか、不公平になっていないか、一度見直してみるのはいかがでしょうか?
ひとりひとりのワーク・ライフ・バランスを追求するだけではなく、家族の、職場の、コミュニティのワーク・ライフ・バランスと少しずつ視野を広げていければよいな、と考えています。
大学院在学中は放射線腸炎の研究に従事し、第一子妊娠中に学位審査に臨んだ。無事に学位を取得するも、出産を目前に控えて臨床業務に復帰することができなかった。この経験を契機に、医師のジェンダーギャップに関する研究を開始。ワーク・ライフ・バランスや女性医師のキャリア継続の課題にも取り組み、関連する研究業績を積み重ねてきた。また、数少ない女性消化器外科医のエンパワーメントを目的とし、「消化器外科女性医師の活躍を応援する会(AEGIS-Women)」の立ち上げに尽力。現在は副会長を務める。
診療に復帰後は大腸癌の手術を中心に外科診療に従事し、研究面でも多数の業績を有する。診療と研究の両面から、医療の質の向上と持続可能な働き方の実現を目指す。
参考文献
仕事と生活の調和(ワーク・ライフ・バランス)憲章.内閣府 男女共同参画局 仕事と生活の調和推進室.https://wwwa.cao.go.jp/wlb/government/20barrier_html/20html/charter.html
生活時間の国際比較.内閣府 男女共同参画局.
https://www.gender.go.jp/about_danjo/whitepaper/r02/zentai/html/column/clm_01.html
アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か?これからの経済と女性の話.カトリーン・キラス=マルサル 著.高橋 璃子 訳.河出書房出版社.2021.
令和3年社会生活基本調査 生活時間及び生活行動に関する結果.総務省統計局.2022.
https://www.stat.go.jp/data/shakai/2021/pdf/gaiyoua.pdf
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